個人の刑事責任,厳密判断 漁船の航跡,疑問残れば被告有利に

こんにちは。先日のブログでは,梅雨なのに雨がなかなか降らないなんて話しておりましたが,ようやく雨が降りましたね。これでやっと季節の移り変わりを,肌で感じることができそうです。梅雨といえば,紫陽花。紫陽花ほど雨が似合う花もありませんよね。曇天の薄暗い街中で,道端に咲く紫陽花は殊更に美しく見えます。紫陽花の語源は,「あずさい」にあるのだとか。「あず」は「集まる」,「さ」は「真」,「い」は「藍(藍色)」の省略形。つまり,「真の藍色が集まっている花」が紫陽花なのです。灰色のキャンパスに描かれた「真の藍色」に,人の心は動かされているのですね。

さて,今日は「立証責任」の話です。

イージス艦「あたご」と漁船「清徳丸」の衝突事故を巡る11日の控訴審判決は,争点だった清徳丸の航跡を「一定の幅を持った航跡しか特定できない」としたうえで,その“幅”の中で被告に最も有利になる条件を選択した。個人の責任追及に厳密な立証を求める刑事裁判の原則に沿った判断といえる。

2009年1月の海難審判は,事故の主因があたご側にあると判断。横浜地検は事故前後の当直士官2人を起訴したが,裁判では一,二審とも被告の刑事責任を否定する結論となった。

海難審判が事故の原因究明や再発防止に主眼を置くのに対し,刑事裁判は個人の責任追及が目的。国が刑罰を科す以上,検察側はより厳密な立証を求められ,立証に疑問が残る場合,裁判所は被告に有利な判決を下すことになる。

清徳丸の全地球測位システム(GPS)機器が水没し,物証がないなか,検察側は海上保安官らの証言に基づき航跡を“再現”。しかし,航跡を特定するに当たっての一部証言内容が,捜査段階と一審公判で異なることなどを理由に,司法は「信用できない」とその主張を退けた。

証拠改ざん事件などを背景に捜査・公判の在り方が問われている検察にとっても,厳正な立証という重い課題を改めて突きつけられる結果となった(2013年6月12日 日本経済新聞朝刊)。

2009年1月の海難審判では,「あたご」側が見張り体制を十分に構築していなかったことが事故の発生原因であると判断していたわけですが,今回の控訴審判決では,第一審の横浜地裁判決に引き続き,「清徳丸」側が衝突の原因を作っており,あたご側に衝突を避ける義務はなかったと判断しました。今回の事件では,清徳丸の航路に関する証拠の信用性が,判決の帰趨を左右する重要なポイントとなりましたが,海難審判と判決とでは,正反対の結論が導かれていることからも,当該証拠の信用性の判断は相当難しかったものと考えられます。

ところで,海難審判と刑事裁判の大きな違いは,立証責任の所在にあります。刑事裁判においては,「疑わしきは被告人の利益に」や「無罪の推定」の原則が妥当し,刑罰権の行使を求める国家が犯罪事実を立証すべきこととなるので,犯罪事実について,検察官に挙証責任(立証責任)があるのです。検察官が,犯罪事実の存在を合理的な疑いを生じる余地のない程度に真実であると証明しなければ,当該犯罪事実は存在しないこととなるので,無罪判決が下されることとなります。今回の事件では,検察官は,あたご側の回避義務を基礎付ける「清徳丸の航路」の存在を,証拠により証明することができませんでした。その結果,あたご側に過失があることを立証できず,被告人は無罪となったのです。

海難審判が原因究明や再発防止に重点を置く行政審判であるのに対して,刑事裁判は,事件の真相を究明し,犯罪行為に見合った刑罰を科す手続きです。刑罰は,人の財産や身体の自由のみでなく,生命をも奪いうるものであり,国家が国民に対して科す様々な処分のうちでも,最も峻厳なものです。そのために,刑罰を科すか否かを決定するに際しては,特に慎重な判断が求められるのであり,「疑わしきは被告人の利益に」の原則も,この点から導かれるものだと思います。刑事裁判の大原則が尊重され,検察側に,適正な捜査や積極的な主張立証を促した今回の判決は,事件の真相究明に向けた大きな一歩といえるでしょう。

一方で,このような大規模事故の再発防止のためには,原因究明の要請も大きく,関与者が刑罰を恐れて真実を話さない,ないし黙秘するという現実に正面から向き合い,刑事免責制度を含んだ新たな捜査手法を構築する必要もあるように思います。

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長年検事として刑事事件の捜査公判に携わった経験を有する弁護士と,そのスキルと精神を叩き込まれた優秀な複数の若手弁護士らで構成された刑事事件のブティックファームです。刑事事件に特化し,所内に自前の模擬法廷を備え,情状証人対策等も充実した質の高い刑事弁護サービスを提供します。

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