自由は奪えても美は奪えない
古代ギリシャに、気品があり、美貌の高級娼婦「フリュネ」がいました。アテナイの高官を愛人に持ち、高額の報酬を得ていたフリュネは、やがて、フリュネに袖にされたモテない?実力者たちの反感を買い、不敬罪(神を冒涜する罪)で訴えられてしまいます。
古代ギリシャでは、アレオパゴスというアテナイの小高い丘に政治司法を司る元老院機構が置かれ、そこで裁判も開かれていました。
法廷に立ったフリュネの横に立つ弁護士は、プラトンの弟子とも言われる雄弁家ヒュペイデスでした。法廷で、フリュネを取り囲むようにして怪訝な顔でこの高級娼婦を睨みつける老獪な元老院たちの前で、果敢に弁論を試みるヒュペイデスでしたが、形勢不利と察するや、何とフリュネの衣服を剥ぎ取って全裸にし、「この美しさに罪を問えるのか!」と叫びます。
その瞬間、法廷に、稲妻が落ちたような衝撃と緊張が走り、元老院たちは、全裸のフリュネに、畏れ、慄くほど神々しさを感じ、畏敬の念さえ覚えて、無罪を言い渡したのでした。
この古代ギリシャの逸話を絵画「アレオパゴス会議のフリュネ」にしたのは、19世紀フランス画壇の巨匠ジャン・ジロームです。その名作は、今、ドイツのハンブルク美術館にあります。
「美の創造の絶対性は、政治や社会、裁判すらそれに奉仕する役割、つまり下僕の役割しか与えられていない。」と言ったのは、三島由紀夫でしたが、司法に携わる者はこの言葉を肝にめいじ、決して傲慢になってはならないのです。権威ある判決によって自由は奪えても美は奪えないのです。