函館修習の思い出
私は,司法試験合格後,46期司法修習生として,2年間のうち1年半を函館で実務修習を受けました。修習明けには検察官に任官して東京地検に配属となったのですが,その新任検事時代,怖い上席検事の口癖が,「中村~!いつまで修習気分でいるんだあー!いつまでも夢見てないで仕事しろー!オオカミのように毎日爪を研げー!隙を見せず犯罪者に襲いかかれー!」でした。記録が飛んでくるわ,起案はビリビリに破られるわ,とんでもないところに来たもんだと思ったものです。
でも彼の言うことも半分当たってました。確かにその通りで,修習が終わって30年経つ今,函館修習時代は,毎日が夢のような楽園生活で,人生で最初で最後の幸せな時代であったように思うのです。
函館は,私の故郷です。高校生までを市内で過ごしました。私が生まれるずっと前のことですが,祖父が借家立退訴訟に遭い,当時の函館の重鎮弁護士で弱者の味方,土屋健太郎先生のお世話になったと父を通じて話を聞いていました。その函館の弁護士先生たちと初めて懇意にしてもらったのが,函館修習時代でした。
当時は弁護士会館はまだなく,地裁の弁護士控室が「弁護士会館」で,弁護士会の事務の職員さんが常駐していました。そこにいつも陣取っていたベテラン先生は,「昔の函館弁護士は,みんなこの裁判所の弁護士控室を不法占拠して机を持ち込んで事務所にしていた。」と言うのを聞き,裁判所の建物の中に「弁護士自治」を樹立していた函館弁護士は大したものだと思いました。
そうした気風は,私の修習当時も残っていて,函館弁護士が結束して函館市民を代理して東京の大会社を集団訴訟で訴えては,法廷でふんぞり返って立ち並ぶ「内地の弁護士」に闘争心丸出しで立ち向かっていましたし,札幌の弁護士と法廷で合間見えるときは,「奥地の弁護士何する者ぞ」(札幌の先生ごめんなさい)といった古武士の顔つきで丁々発止やりあっていました。
気高い自由の騎士,孤高の野武士,それが修習生から見た函館弁護士像でした。
菅原憲夫先生と行ったイワナ釣りやテニス,釣ったイワナを先生のご自宅でいただいたその味は格別でした。弁護修習は藤原秀樹先生の指導を受けました。ランチはいつも奥様の手料理で,とても美味しかったです。どの先生からもまるで息子のように親切に,大切にされ,手取り足取り弁護士とは何ぞやを教えていただきました。
函館では,たった4人の修習生でしたので,修習生同士の仲はとても良かったです。市川さん(故人),大賀さん,染谷さんとの思い出は尽きません。勉強や修習実務だけではなく,様々なイベントや旅行が思い出されます。市川さん,大賀さんと積丹半島を合コンドライブに行ったこと,染谷さんとゴルフをしたこと,みんなで染谷さんの下宿でお酒を酌み交わしながらサッカーワールドカップ観戦をして号泣したこと(「ドーハの悲劇」。みんな単に泣き上戸だったのですが),私の実家の庭で合コンバーベキューパーティーをしたこと,裁判官の皆さんと一緒にスキー旅行に行ったことなど,今でも口元が緩む楽しい思い出でいっぱいです。まあよく飽きもせずいつも一緒に居たなと思います。大賀さんのワインレッド色のスーパーポンコツカーはずいぶんと活躍しましたし,染谷さんの愛車,トヨタMR2には全然乗せてもらえませんでした。私は自動車教習所で手こずっていたのでまだ車はありませんでした。
市川さんは,既に社会経験を積んでいたので,頼れる兄貴分でした。検察修習の取調べで初めて供述調書の口授なるものを経験し,私などは口授しているうちに主語がなんだったかわからなくなり,いつも振り出しに戻っていたのに,市川さんがまるで10年検事のように,理路整然と口授を長々と,しかも威厳をもってやり通し,終わった頃には立派な供述調書になっていたので驚きました。
大賀さんは,とてもせっかちで,いつも精力的に課題をこなし,また,人権感覚が鋭く,奥尻沖の大地震,大津波の災害時には弁護士先生に頼み込んで現地に渡り,無料法律相談のお手伝いをしていました。本当に常に活発に動きまくり,彼が動いていないのは,宴席でお酒に酔って寝ているときだけでした。
染谷さんは,いつも身だしなみがよく,ブランドもののバッグ(何故か旅行バッグ)を持ち歩き,MR2を颯爽と乗り回していました。当時まだ一般には普及してなかったノートパソコンを持っていて,私などは「これ,どこにフロッピーディスク入れるんだ?」などと聞くと,「そんなの要らないもんねー。」と笑っていました。ただ,そのノートパソコンをいつも後生大事にタオルに包んで持ち歩いていた様は,出たての頃の観音開きのカラーテレビのようで,可笑しかったです。
こうした,幸せで楽しかった函館修習時代もあっという間に終わり,同期の桜である市川さんと大賀さんは札幌の弁護士,染谷さんは裁判官,私は検察官と,それぞれ未来へ向けて羽ばたき,函館の弁護士先生たちには送別会を開いてもらい,送ってもらいました。そして,私は検察での,冒頭で話したような厳しい訓練が始まり,やがて楽しい想い出も検察官生活の中に埋没していく訳ですが,8年間検事を勤め上げ,弁護士になってからも,我が身の血となり肉となっているのは,次のような函館修習での小さなエピソードです。
弁護修習のとき,とある疑獄事件の弁護人となった森越先生の接見に付いていったときのことです。森越先生はいつもジープを乗り回して接見に足を運んでいたカッコいい先生でした。警察署に着くなり,刑事課の課長代理が立ちはだかり,「先生,接見は10分だけでお願いしますよ!」と高圧的に言うと,森越先生は,「何言ってんだ,接見制限する法的根拠はどこにあるんだ。何時間でも接見する,そこどけ。」と言って課長代理を押し退けて接見室に入っていきました。当時の私は,まだお上,つまり国家権力に対する畏敬,というか遠慮の念,迎合感があったのですが,何も後ろ盾のないひとりの弁護士が,国家と対等に渡り合う姿を見て,国家と個人の関係はかくあらねばならぬと思ったものです。そしてその函館での貴重な経験は,今私が主催している法律事務所の理念にもなっているのです。