我が国の刑事裁判は今なお絶望的である
私が中央大学を卒業した頃であっただろうか、今から40年ほど前、当時の刑事法の大家であった平野龍一先生が、「我が国の刑事裁判は絶対的である。」という言葉を残された。血気盛んなその頃の私は、師匠である渥美東洋先生の教えもあって、「そんなことはない。刑事司法過程を通じて人権を保障しつつ真実を発見することは可能だし、そうでなければアメリカ法を継受した戦後日本の刑事司法に未来はない。」と思った。そのいわば革命的な理想主義に燃えて司法試験を突破し、検察官となり、刑事事件専門の弁護士へと転身して今まで全霊を注いで不正義と闘ってきたつもりである。
その過程で心を通じ合える敬愛すべき検察官、裁判官に出会ったこともあった。正義と真実に則った不起訴処分や無罪判決を何度も勝ち取り、後進の弁護士も育ててきた。教え子の中には検察官や裁判官に任官した者も少なくない。
ところが、今回、東京地裁で目にし耳にした判決宣告は、私の法律家人生を根底から全て覆すものであった。この真実とは程遠く、近代的合理主義、科学主義に反する前近代的、中世魔女裁判的な不正義、不条理な判決は、それが裁判官という人間の口から発せられたこと自体が信じられない内容であった。
記録の字面をなぞり、科学を知りもせず、検証請求すら却下し、あかたも裁判官が万能の神であるかのように、つまり科学を完璧に知っているかのような、知ったかぶりの偽善者の仮面は、平野龍一先生が40年前に目にしていたものと同じに違いない。
刑事司法の絶望さに、この歳になって直面して、もう刑事弁護士は辞めようと思ったとしても、平野先生や渥美先生に叱られることはないと思う。もう十分やった。