検事任官
実務修習は検察修習、裁判修習、弁護修習と滞りなく進み、一年後の春ころに、司法研修所の検察教官から手紙で検事任官を説得された。検察修習時の取調べが評価されたようだった。特に暴力団の傷害事件の身柄案件を配点され、指導検事から私の取調べが「強い」と言われた。今思うと、検事でもない修習生の分際で「強い」取調べをするなんて、なんて不遜なんだと赤面するが、実務修習地の検事正、次席検事、東京の前後期の各検察教官から説得攻勢にあった。確か検事は安月給だったはずだ、ボロ官舎に安月給、それに転勤族ときたら、結婚できないんじゃないかと思ったが、検事正から湯の川温泉での会食に招待され、湯に入って背中を流してあえなく「落ちた」。それまでは、東京でお金持ちの不動産弁護士にでもなろうと思っていたが、検事に任官することにした。
実務修習を通じて、検事の仕事が楽しそうに思えたからだ。一つ一つの証拠を分析吟味し、取調べによって真実を解明していく能動的な仕事は、自分に向いていると思った。公判研修は、裁判修習のときに見学するだけだったが、当時、テレビても報道されていた市会議員が被告人の裁判があって、法廷での三席検事がとにかくカッコ良かった。それに、東京地検特捜部がゼネコン事件で大活躍し、恐れを知らない破竹の勢いだったことへの憧れもあった。
任官を決意した私は、検事正にそのことを直接伝え、大いに歓迎されたが、あとで指導検事から、「中村、なんで俺に先に言わないんだ。俺が鼻高々、勧誘成功を検事正に報告するはずだったのに!」と怒られた。
検察庁は順番を間違えると大変なことになる、と学習した。