新撰組とNICD
刑事弁護は,何よりもスピードが命である。
夜中に家族から相談電話が入り,身内が逮捕されたとの報に接したときには,当日朝には,家族面談を実施して事件見通しなどについて助言し,弁護人選任届,身柄引受書等の必要書類を作成して,検察庁刑事部の事件係に一報を入れ,弁護士が就いた旨知らせて身柄解放活動に着手できていなければならない。
この間も,逮捕された者の身柄は,法で定められた身柄拘束の時間的制約に従って,警察から検察庁へ,検察庁から裁判所へと送られ,短時間のうちに次々と手続が進んで行くからである。
刑事弁護士は,家族面談に続いて,被疑者接見,法律意見書作成,検察官・裁判官面談,家族への報告,準抗告準備とスピーディな活動が求められる。
つまり,通常,弁護士が扱う民事案件のサイト感覚が1か月単位とするならば,刑事事件は1分単位で動くのである。
しかも,1件だけではなく,同時に2件,3件と依頼が入ることもある。
このような迅速かつ機動的な弁護活動を可能にするため,法律事務所としてどのような組織が適当かを考えたとき,新撰組方式が思い浮かんだ。
当時の幕府や藩における組織構成は,治安を預かる町奉行も含め,権力の集中を避けるためにどのような役職であっても複数名で1つの役目を務め,1か月交代で政務を担当する月番制を導入していた。
しかも,重要な政務決定は合議を原則としていた。
これでは権力集中による独裁の弊害は抑止できるが,機動性に欠け,変事に対応できない。
副長土方歳三が作ったとされる新撰組の組織は,当時の幕府や藩体制とは全く異なるもので,局長の近藤から副長の土方,そして副長助勤の1番隊から10番隊までの各組頭へと一本のラインで指揮命令系統が縦に確立されていた。
そのため,近藤局長の命令一本で電光石火のように隊士が動く組織になっていた。
この組織の違いが,池田屋事件において,現場臨場に遅れをとった会津藩,桑名藩等の旧弊組織との差となって表れたのである。
NICDは新撰組組織を目指し,官軍(検察官)と対峙する。
(中村)