念頭に思うー近代合理主義の功罪

エマニュエル・カントに代表される近代合理主義思想にあって,「目的」と「手段」の概念的な分離は近代社会樹立にとても重要な役割を果たしていると思う。

カンティアンの神髄は,私もそうであるけど,道徳的に自立した存在である他人を「手段」にしてはならず,それ自体意味ある「目的」として尊重しなければならないという哲学であって,これは,ベンサム的な功利主義,あるいはルソーの「一般意思」思想とは大きく異なる,近代社会に道徳的な基礎を与えた思想であるに違いない。

たとえば,原子爆弾投下の問題を挙げても,ベンサム的な最大多数の最大幸福理論(功利主義)からは,本土決戦に伴う多くの日本国民及び米国軍人の犠牲という結果を避けるためには,功利的な数学計量において,20万や30万の原爆犠牲は必要悪として正当化される(本土決戦は数百万を超える犠牲が出るであろうという功利主義的な計算において)。多くの犠牲を避ける,その「目的」のためには,原子爆弾投下という「手段」を問わないと,時の米国民主党政権は考えた。それが最大多数の最大幸福であると。

しかし,カンティアンの立場からは,まず原爆投下の道徳的分析を行い,原爆投下は日本政府に無条件降伏を迫るための「脅し」であったと評価することになるであろう。脅しでなければ,6日の広島投下,9日の長崎投下といった,3日間という極めて短期間で追加制裁を実行したその意味をなかなか合理的に説明できないからである。当時の米国民主党政権は,20万,30万の日本国市民の生命を,日本政府に無条件降伏を迫るための「手段」として扱ったのである。仮に,最大多数最大幸福のベンサムの立場からは正当化されようとも,カンティアンの立場からは,決して正当化することができない。極端なことを言うなら,それが国内法や国際法にのっとり正当かつ合法的な手続きに従った権限の行使であったとしてでも,である。

「合法的」とか「適法」という言葉を使うが,そもそも「法」とは永遠の真理を意味する。この永遠の真理たる「法」にその時代,その地域に即した道徳「律」が適用されて「法律」となって社会が自律的にハンドリングされている。それが「法律」なのである。文字に書かれた「六法」が法律なのではない。そこに道徳的基礎がないと法律とは呼べない。目的達成のためなら手段を選ばないという考えが常に正しいことはなく,それが正しいと言えるためには,そこに道徳的基礎がなければならないと教えてくれたのはカントであった。

これが近代合理主義の,「目的」と「手段」に関する議論である。
しかし,議論はこれで終わらない。
もう一歩,深く考えてみたい。
近代合理主義の功罪の「罪」の側面である。
「目的」と「手段」を分離することを覚えた我々は,それ故に誤った行動原理を,それとは気づかずに安易にとってしまっているのではないか。

いま生きている,かけがいのない一瞬,一瞬を,ある目的の「手段」として下位に位置づけるとき,将来の「目的のためならば」という価値判断によって,「今」の環境,人間関係,社会との交わりを疎かにしてしまうのではないか,という深刻な問題である。
思うに,人間の日々の営みにあって,「目的」と「手段」を分離すべきではない。
いかなる一瞬も,いかなる行いや所作も,いかなる人間関係も,「手段」として「目的」の一段下位に置かれるべきものは何一つ存在しないと思う。一瞬一瞬が人間の実存であり,「目的」と「手段」が合一した人間の実存こそが人間を道徳的かつ自律的存在足らしめていると思う。
「目的」と「手段」を時と場合によって使い分けるあり方は,いつか「目的」を免罪符として,つまり「言い訳」として,日々の,二度と来ないかけがえのない,輝かしい日常,人との交わりなどを無に帰してしまいはしないか,という問題である。この問題はカンティアンの思想によっても解決できない。手段にしてしまっている日常を,反道徳的に過ごしているわけではないからである。

こうした,近代合理主義の「罪」にも目を向けなければなるまい。「目的」と「手段」を分離せずに,一瞬一瞬を,ただそれだけの時間として誠実に,真摯に生きることの仏教的な尊さを,あるいは,人類は,近代合理主義によって見失っているのではないか。

正直に告白すると,刑事弁護士にとって,「目的」はいつも設定し難い,永遠のお題目である。
99.8%という有罪率の中で,どのようにして依頼人の目的である「無罪」を実現するか。
去年も,3つの無罪にすべき担当事件があった。しかし,いずれもその目的を達成できなかった。
刑事弁護士にとって,とりわけ我が国の刑事弁護士にとっては,もし良心を持ち合わせていたなら,自信をもって「目的」と「手段」を使い分けることなど出来ない。
「起訴猶予になりたいのならぜひうちの弁護士を」,「執行猶予を目指すならうちの弁護士を」,「無罪を目指すならうちの弁護士を」などなど,コマーシャル的な宣伝文句を並べることは容易だけれども,僕がこの念頭にあって思うことは,「目的」も「手段」もない,ただ依頼者のため,一瞬一瞬を全力で弁護するのみ,ということである。それが刑事弁護士の実存であると思う。

(中村)

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