少年事件の刑の厳罰化に思う
今日は少年に対する刑罰についての話です。
茨城県稲敷市の利根川河川敷で昨年9月,同市光葉,無職湯原智明さん(当時20歳)を集団暴行で死亡させたとの傷害致死罪などに問われた同市の無職少年(18)の裁判員裁判で,水戸地裁は27日,懲役5年以上8年以下(求刑・懲役5年以上10年以下)の不定期刑を言い渡した。
根本渉裁判長は「粗暴性と執拗さは際立っている」と述べ,主犯に準じる中心的な役割を果たしたと認めた。
判決によると,少年は遊び仲間の少年少女ら6人と共謀し,河川敷で昨年9月15日朝,湯原さんに約3時間半にわたり暴行を加えて死亡させるなどした(2013年5月27日21時38分 読売新聞)。
このように,少年事件の判決は,「懲役5年以上8年以下」という幅のある内容が言い渡されることが多く,「懲役3年」等のように懲役期間が確定している成年に対する判決と比して分かりにくいものとなっています。
少年法が幅のある判決を言い渡すこととしている理由は,少年の人格が発達途上にあることから,服役中の教育処及び更生の効果に応じて,刑の執行終了の時期を柔軟に判断できるようにするためとされています。難しい言葉で言うなら,そういう少年の社会に適応する性質を「可塑性」(かそせい)といいます。そして,実務上は,判決の上限を基準に,刑の執行終了の時期を判断しているようです。
被害者が亡くなっている事件の判決が,「懲役5年以上8年以下」と聞くと,刑が軽いと感じてしまう方が多いのではないでしょうか。今年に入ってから,法務省の法制審議会は,従前は5年であった不定期刑の短期の上限を5年から10年に引き上げ,長期の上限を10年から15年に引き上げる改正案をまとめております。成人に対する刑罰と同様,少年に対する刑罰も厳罰化の傾向が見られます。「自分は少年だから悪いことをしても刑が軽くて済む」などと付け上がっている少年犯罪者を厳罰に処して社会の厳しさを思い知らせる,ということなのでしょう。
ただ,少年に対して厳しい刑罰を科せばそれで少年犯罪がなくなるかというと,そう単純な問題でもありません。少年の問題は,親の問題でもあり,地域社会の問題でもあり,国の教育の問題でもあります。非行や犯罪に走る少年は,常日頃,普段は背広にネクタイを締めて立派そうにしている大人たちが,詐欺,粉飾,偽装,賄賂といった汚い金儲け主義に手を染めているのを,ニュース等を通じて目にし,耳にしています。自分の親も子供を放り出し,ギャンブル,酒,女に溺れていたりします。だから,そういうのを見ている少年は大人を信用しません。刑罰で威嚇しても本質的な改善が望めないことが多々あるのです。
そういう少年には「人の正しい姿」を見せてあげる必要があります。「こういう大人もいる」と,人としての正しい生き方を見せてあげるのです。正直で,まっすぐで,一生懸命,額に汗して自分の大切な者たち,家族のために毎日真面目に働き,慎ましやかな幸せを大切にして正直に生きている人たちがいる,ということを示してあげるのです。それが,自分が傷つけた被害者の家族の姿であったりします。そのことを感得すれば,その少年に元々あった善良な心にまるで染み渡るように,自己の犯罪行為に対する悔悟の情が広がっていきます。そうして初めて少年は刑罰を受け止めることができ,刑罰は効果を発揮し,少年は,その「可塑性」によって更生していくのです。
そのお手伝いをするのが弁護士(付添人)なのです。