法学部出身の芸術家
法律家なら誰しもその名前を知っている「團藤重光」という刑法学者は、戦前から東大法学部で教鞭をとっていて、元々は刑法ではなく、刑事訴訟法学者でした。
ドイツ刑事訴訟を継承し、戦前の職権主義刑事訴訟法の理論化を推し進めた若き学者でしたが、とにかく京大の瀧川事件に象徴されるように、学問の自由に対する官憲の抑圧が厳しかった世の中であったので、團藤教授は、左翼右翼といった価値観を可能な限り排除した純粋客観の理論構築を一貫して追求した学者でした。それが刑事訴訟構造における「動態的訴訟理論」でした。それこそ、当時の司法試験、つまり高文試験で、受験生なら皆んな基本書として勉強していたのです。
そろそろ、芸術家の話に移りますと、戦前に、その、徹底した純客観理論に基づいた授業を東大で展開していた中で、目を輝かして必死にノートをとっていた学生がいました。もちろん、100人ほどの学生で埋まる大講義室で、そんな、真剣に自分の講義を聞いている一学生に、團藤教授は気付きませんでした。
團藤先生がその学生に初めて気づいたのは、東大の教師として、学生の手紙を検閲していたときでした。当時、つまり戦前は、大学の教師が軍事教練を仕切ったり、学生の手紙を検閲するのが仕事の一つでした。團藤先生は、検閲している中で、素晴らしい文章力で作家佐藤春夫と文通していた学生がいたのを発見したのです。團藤先生は、この学生は一体誰かと調べてみると、「平岡公威」つまり三島由紀夫だったのです。その三島由紀夫の随筆に「法律と文学」というのがあり、團藤刑事訴訟法について実に面白いことを書いているのです。その詳細は、皆さん読んで欲しいのですが、要約すると、「まだシャキシャキだった團藤先生が実に面白い訴訟論を展開し、まるで先の見えないレールに被告人が乗せられて、被告人が悪人かどうかなどお構いなしに訴訟が客観的に進んでいき、どこに辿り着くのか全く分からない、そこが実に面白かった。私が一番嫌いなのは、結果が最初から決まっている推理小説なのです。」などと記しているのです。
法学部出身の芸術家は世界を見渡してもほとんどいません。三島由紀夫は貴重な法学芸術家なのです。